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Your search : [ author:写真 戴紀明] Total 3403 Search Results,Processed in 0.112 second(s)
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1. チベットのラサで年々盛大に大昭寺の祈禱大法会
ラサの祈禱大法会が、ことしも二月二十五日から三月五日まで、大昭寺で盛大に行われた。この行事は、チベット仏教の黄教派の祖師ツォンカパによって、一四〇九年に始められたもので、最近の二十年間、種々の原因で中断していたが、一九八六年に復活した。自治区政府、各界代表も参加して祝辞を述べ、法会の僧二千三百人すべてにお布施が配られた。大昭寺門前には五色の布がひるがえる経幡柱が立てられ、寺内の軒には、めでたい模様
Author: 写真 戴紀明 Year 1988 Issue 6 PDF HTML
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2. 「長城」基地スタンバイ。南極にひるがえった五星紅旗。
南極の大地に「五星紅旗」がひるがえった。中国南極観測隊の観測船「向陽紅十号」が、ドレーク海峡を抜けて、サウスシェトランド諸島最大の島·ジョージ島に着岸したのは一九八四年十二月二十五日午後十一時(現地時間)。打電された「観測隊員、南極の大地に立つ」の知らせは、国際通信衛星をつうじて北京にもたらされた。十二月二十九日午後九時五十分(現地時間)、ジョージ島フェルドス半島の東岸に観測基地の礎石が据えられ、
Author: 撮影 戴紀明 Year 1985 Issue 4 PDF HTML
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3. 中国第一次南極観測隊の142日
世界の「寒極」「風極」、そして「氷雪の極」として地軸の端に眠っていた一四〇〇万平方キロの神秘の大陸南極は、発見以来その豊富な鉱業資源や海洋生物資源と特殊な自然の魅力とで多くの探険家や科学者をひきつけている。南極の平和利用と人類への貢献を願って、去年十一月二十日上海港を出発したわが第一次観測隊は、中国初の南極「長城」基地の建設と南太平洋の海洋調査を果たして、今年四月十日、一四二日ぶりに上海に戾った。
Author: 撮影 戴紀明 段継文 Year 1985 Issue 8 PDF HTML
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4. アジア·太平洋地域国際貿易博覧会
1985年11月15日から30日まで、北京市東郊の国際展示センターで、中国国際貿易促進委員会と国連のアジア·太平洋経済社会委員会の共催によるアジア·太平洋地域国際貿易博覧会が開催された。参加した二十数カ国と地区からは、先進的な技術設備や、さまざまな商品が豊富に出品されて観客の興趣を呼んだ。この博覧会を通して、アジア·太平洋地域の各国と各地域間の経済交流と相互間の友好と理解が積極的に促進された。なお
Author: 撮影 馮進 撮影 戴紀明 Year 1986 Issue 3 PDF HTML
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5. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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6. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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7. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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8. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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9. 中日間を結ぶ定期客船「鑑真」号
「鑑真」号は、1985年7月6日に就航してから、週に一往復、神戸―上海、上海―大阪間を通っている。写真は、上海·黄浦江をさかのぼる「鑑真」号船上から。
Author: 写真 王?晋 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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10. つごう二百余名が一堂に。栄家一族、めでたく“大団円”。
エコノミストならずとも、中国経済に関心ある方なら、ご存知でしょう。栄毅仁(ロンイーレンー)氏。一九五〇年代に、「紅色老板」(赤い資本家)の異名(えいきじん)までとった、中国経済界の“立て役者”です。栄家一族は、今世紀のはじめ、父親の代に、四つの石臼から製粉業を興し、三〇年代には、故郷の無錫をはじめ、上海、済南などに、製粉、紡績、機械などの工場をもつ、中国有数の民族資本をうちたてました。一九四九年、
Author: 写真 李平 Year 1986 Issue 10 PDF HTML